はじめに
私は飼い主パパと同年代の熟女犬「ほんざわ さくら」です。パパがブラリーマン5年にして遊び優先の生活に慣れたので、念願の九州まで往復2,620kmの寅さんドライブ旅行に連れて行って貰い、博多の中洲ではスナックデビューもできました。
このことをパパが埼玉県愛玩動物飼養管理士会の役員懇親会で話しましたら、面白いのでエッセイ風にまとめて当会ホームページに掲載しては・・・、とヨイショされたのです。理系のパパは文才なく躊躇しましたが、さくら以心伝心者・パパ筆記者・ママ監修者の小泉流三位一体でチャレンジすることにしました。私達ファミリーの出来事や考え方が仲間のワンちゃんと愛犬家の皆さんにとって、より楽しい触れ合いになるためのお手伝いになれば嬉しいです。
内容はマイカーによる寅さん的ドライブ温泉紀行を初め、ファミリーの触れ合いや犬のごはん等など、思いつくままに・・・。
出合い
食品会社の飼料部門のサラリーマンだったパパは、平成2年に那須の研究所に転勤になりました。そこの社宅には30坪くらいの庭があったので、ママの結婚五条件の一つだった「ワンちゃんと何時かは暮らしたい」をパパがバースデープレゼントすることになり、ペット研究室のSさんにお願いしました。
ビーグル犬の女の子がママの希望でした。パパは五つ子の四姉妹の中から、頭のてっぺんからお尻まで黒く一番小さかった私を選んでくれたのです。そして45日齢になり、5月連休明けの日曜日にダンボールの小箱に入れられマイカーに乗って、家で首を長くして待っていたママに出合いました。ママの喜び様は大変なもので、頬ずりされた時は食べられてしまうのかとビックリでした。
ファミリー紹介
【さくら】
平成3年の「さくら」の季節に那須で生れ、現在はさいたま市在住のビーグル犬♀です。ママ・パパに似て一見、実年齢よりも若く見えます。子供に人気上昇中の「寿限無
寿限無 五劫の・・・長助」的フルネームは「ORIGIN B OF LOVELY FARM 」です。祖父はアメリカン チャンピオンですが、それよりもその祖父が某ドッグフードのパッケージ写真のモデル犬ということがチョッピリ自慢です。性格は猫的でマイペース。キスは好みでないので、キッパリ拒否するのがママには不満のようです。
【たかこママ】
さくらの名付け親です。昭和19年生れのサルで皮むきや草むしりなどの定型的単純作業が好きで、毎年11月には皮むきに手間の掛かる干し柿作りを楽しんでいます。実家は昼間も夫婦一緒に居るのが普通の自営業(歯医者)だったこともあり、ブラリーマンになったパパを口とは裏腹に粗大ゴミ扱いしていません。職人的アナログ感覚に優れていて、三味線(長唄)や料理が得意で、スーパーの特売チラシのチェックが好きなオバサン。パパとの共通の趣味は動物との触れ合い、歌舞伎鑑賞、ドライブ旅行、温泉、竹の子掘り、魚釣り、日曜大工などです。歌舞伎通いはママが先輩で、「役者ファミリーの松たか子や富司純子らにロビーで会える」と誘ったのがキッカケでパパもはまったみたい。ゴルフは時々パパに付き合っています。近くのショートコースへ一緒に行く時は、さくらも散歩がてら連れて行って貰います。
【せいじパパ】
昭和12年生れの鈍牛で生年月日は美空ひばりと同じですが、才能は正反対です。ゴルフ好きのオジサンで、スコアメイクよりも仲間作りを大切にしています。かつては卓球が得意で、埼玉県志木市のベテラン・チャンピオンになったこともあります。企業戦士卒業時の挨拶状の一部を引用してサラリーマン略歴の替りにします。「…お蔭様で在職39年にわたり自己満足できる畜水産飼料・ペットフードの仕事と横浜、埼玉、台湾、東京、福岡、那須での生活を楽しむことができました。これからは今まで培った技術を活かして業界に恩返しをしながら、ペットフードの勉強および愛犬さくらとドライブ温泉巡りをしたい…」。
ブラリーマン5年にして仕事二の次と割り切り、寅さんドライブを優先しながら、ペットフード改革の夢も追い続けています。
気の向くままに寅さんドライブ
【那珂湊&大洗海岸(初めての長距離ドライブ)】
パパ同僚の推奨で、那須から茨城県那珂湊の魚市場まで往復200kmの長距離ドライブを初体験しました。一般道路ですが信号は少ないので、平均時速50kmです。朝ごはんのドライフードを食べて2〜3時間後に出発しましたが、間もなく気持ち悪くなり吐きました。吐いたドライフードの形状は、食べる時噛まずに丸呑みしたこともあって殆ど原形のままで、消化に長時間掛かることが分かりました。吐いた後は水を飲んだらケロッと立ち直りました。次ぎからは長距離ドライブに慣れ、吐くことがなくなりました。
那珂湊の魚市場は新鮮と安さが売りで、市場食堂のランチは安くて旨いです。市場の片隅に繋がれていた、さくらは不安でギャーギャー泣き通しでした。近くの大洗海岸で大きな波を初めて見た時には巨大な化け物が迫って来るようで足がすくんでしまいましたが、何回か行くうちに慣れました。慣れるといえば、子供の頃は高所恐怖症で歩道橋ですら渡るのが苦手でしたが、パパのスパルタ教育で高所を何回か体験する内に一緒に吊り橋を渡れるようになりました。また、那須高原で牛馬に初めて出合った時は恐くて吠えてしまいましたが、直ぐに慣れました。箱入り娘として甘やかすことなく、いろいろなことにチャレンジして体験を積み重ねることで、社会性と触れ合いの場が広がりました。
(次ぎは「ドライブ七つ道具」、「寅さんドライブ紀行」などです)
2004.3.12 本澤清治 |