気の向くままに寅さんドライブ
【魚沼コシヒカリ&寺泊魚市場(初めてのマイカー独り寝)】
本格的な寅さんドライブ用としてミニバンを購入し、パパはピカピカのブラリーマン1年生になったので、手始めに上越方面へ一泊ドライブに連れて行って貰いました。
初日は埼玉を出発し途中、谷川岳のロープウエイに乗りましたが、さくらは何と手荷物200円也というキップでした。明るい内に新潟県南魚沼郡六日町にある旧与野市山の家に着きました。庭にある大きな栗の木には、実が少し残っていたので栗拾いを楽しみました。さくらにとっては、初体験でした。
夜の散歩は何時ものように11時頃に30分くらい。その間にウンチとオシッコを済ませました。日頃から買い物に行く時など同乗しているので、マイカーは、さくらにとって走るマイハウスです。とは言っても初めてのマイカー独り寝となると心細く、ママ・パパが入って行った玄関をジーッと何時までも見つめていました。その様子をママ・パパは遠くから心配そうに覗いていました。
朝の散歩は独り寝のさくらを心配してか、何時もより早目の7時頃でした。二日目のメーンイベントは寺泊の魚市場です。ここは以前に行った茨城県那珂湊の魚市場に比べて、規模は大きく駐車場なども整備されているのですが、観光客も多いので、なるべく休日は避けた方が良さそうです。お土産は、本場魚沼産コシヒカリと日本海の魚介です。
帰りは遠回りして奥只見経由でしたが、カーナビの画面は殆んど白地図に近く頼りにならないので、ママが従来の地図を見ながら四苦八苦ナビゲーターしていました。2日間の走行距離は760km、往きは関越道、帰りに東北道を利用したとはいえ強行軍でした。
(コシヒカリ物語)
コシヒカリの誕生録やTVドキュメント番組によれば、かつての新潟米は、質よりも量で美味しくないと言われていたのですが、コシヒカリの開発普及によって日本一美味しい米になったのです。昭和30年代の米多収穫時代にあって、コシヒカリは美味しい反面、収量が少ない上に倒伏し易く病気に弱いという欠陥がありました。その欠陥は栽培法で解決できるとして、新潟県農業試験場長の杉谷氏は敢えて奨励品種に踏み切り、見事に栽培法開発に成功し、昭和40年代の自主流通米制度という時代のニーズにタイミング良く応えることができたのです。それをバックアップしたのが、当時の県知事のトップダウンによる開発環境作りとトップセールスによる市場創出だったそうです。
パパの経験によれば、農畜産における技術的な開発研究には、特に時間が掛かります。従って、先見性のある開発テーマは、目先の今日を精一杯頑張って成果を上げている人ほど、明日を読む余裕なく理解できないことが多々あります。先を読んだ新潟コシヒカリの開発普及は、さぞ抵抗も大きかったと思いますが、それを成し遂げた二人三脚による決断力と実行力に、パパは感服しています。サラリーマン時代の研究管理の苦労が、そう感じさせたみたい。
(今回はチョッピリ硬い話を挿入しましたが、次回は本格的な寅さんドライブの【東北一周&海岸露天風呂の落日(天気予報任せのコース決定)】です)
2004.6.2 本澤清治 |